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5.132016
何故「ヒーラーは透明でなくてはならない」のか? / ネイティブアメリカンのヒーリングの教えに触れる
ヒーラーは存在してはならない
今日は、私が大好きなヒーリングの教えを皆さんと共有したいと思います。
ネイティブアメリカンの部族には、「ヒーラー」的な役割をする人が存在しました。
でも彼等は、自分という存在を、ある意味消そうとしていました。
「私がヒーラーです。」
「私がヒーリングをしましょう。」
というような事は絶対に言わなかったのだそうです。
中には、お礼を言われてしまったら、ヒーリングは失敗であるなんていう考え方もあったのだとか。
一体どうしてなのでしょう?
ヒーリングは「自然の力」によってなされるもの
彼等を健康にしてくれるもの。
彼等の「ヒーリング」の概念においては、それは「自然」以外の何物でもありませんでした。
自然のもつパワーは凄すぎて、素晴らしすぎて、到底一人の人間の力など足元にも及ばないのです。
だから勿論「人間」が誰かをヒーリングするのではなく、「自然」が人間をヒーリングをするのです。
では何故「ヒーラー」の役割は存在したのでしょう?
彼等は、「自然」と「ヒーリングを必要としている人」との間の架け橋のような役割をする事が、凄く上手だったのです。
その役割がヒーラーだったのです。
透明でなければ「抵抗」となってしまう
例えば目の前にオレンジジュースがあったとしましょう。
そしてそれをストローで飲むとします。
オレンジジュースが「自然の癒しパワー」で、ストローがヒーラーと考えます。
ストローが透明で、真っ直ぐで、中身が綺麗な空洞でないと、ジュースはスムーズに入って来ません。
「俺」「私」というエゴを出せば出すほど、ストローの通りが悪くなり、ヒーリングが上手くなされなくなるのです。
「ヒーラーは存在してはいけない。」
「ヒーラーはその存在に気付かれてはいけない。」
というのは、そういう意味なのですね。
日本でも「奥さん」というのは、奥に入って姿を見せない人という意味があるのだとか。
でもそれは、邪魔だからとかいう否定的な意味ではなく、奥に入って、その苦労を見せない人という、尊敬の意たっぷりの呼び方なのだそうですよ。
何かネイティブアメリカンの教えと共通するものがあると思いませんか?
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記事を書いた人
1971年、世界で定められている地球の日(4月22日)に生まれる。獨協大学外国語学部英語学科卒。幼少の頃より自然に親しみながら子供時代をすごす。
1996年以降、カナダやアメリカを何度も訪れ、アウトドア技術やネイティブアメリカンの大地に生きる術を学んだ際、彼等の自然に対する考え方、野草に対するアプローチ方法、自然と一体化するというヒーリング方法に感銘を受け、その道を追求する。
2001年より WILD AND NATIVE を主催、2013年、一般社団法人危機管理リーダー教育協会を設立。15年以上に渡り、「自分でも学びながら」をモットーに、大地の教え、ヒーリング、身近な薬草に関するワークショップを開催。その教えを、延べ10000人以上と共有している。
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